好きな季節の話

 季節の話を見るといつも思う。
 私は誕生月が晩秋なのだが、その月が一年で最も体調メンタルともに悪化する。風邪すら滅多にひかない人間だが、風邪をひく(ここ二年くらいはひいていない)。一年でもっとも死にたくなる(ここ二年くらいはこちらが重い)。より悪いことに誕生日付近になるとさらに増す。なので誕生日付近が憂鬱すぎて誕生日を人に言いたくない。

 ここで悪いことに、晩秋は季節として外から眺める分にはかなり好きなのだ。紅葉がかげり始め、時雨に散り、冬へと様変わりしてゆく様子はとてもとても好きだ。指先が冷たくなり、コートが厚くなり始め、見るべきもののなくなってゆく景色。非常に好ましいと思う。本当に。
 よって、見ている分にはいいが、体感したくはない、それが晩秋であるので、晩秋に対する感想がどんどんこじれていく。晩秋は好きだが、体調は崩したくない。明るく楽しい人格でいたい。よってそれを妨げるものはあまり好ましくない。しかし晩秋の風情は捨てがたい。難しい。

 ここまで書いてなんとなく悟ってしまったがこれはあれだ、推しに会うと感動のあまり気持ち悪いみたいなあれなのではないか? 体内のキャパを晩秋が超えていくことによる体調不良。なるほど。私は推しに会うと足が震え吐きそうになる種類の人類なので、この可能性はなかなか高い。そうか、そうだったのか。推しだったのか、お前……

眼鏡とコンタクト

 眼鏡をかけている。理由は単純にド近眼のため。人生のうち四半世紀は眼鏡をかけている。眼鏡が本体と言ってもなかなか過言ではない。それくらい眼鏡がないとどうにもならない。

 よく訊かれて面倒な問いに「コンタクトにしないの?」がある。しない。理由はおおむね三つ。まずコンタクトが怖いこと。次に眼鏡が好きだということ。最後に、四半世紀も連れ添った眼鏡面に慣れているので、眼鏡のない面に耐えられないこと。
 ただ、こうして理由を述べると、コンタクトおすすめ閥の人類から必ずコンタクトを勧められるので、現実に主張することはほとんどない。コンタクト、できないんだよね、で終わりにしている。「不可」の断絶力はありがたい。なんと言おうと不可なのである。これを第三者が覆すことは難しい。よってこれが一番面倒がなくていい。

 ただ、上記の理由以外にもずっと疑問なことがある。コンタクト、もしや眼鏡よりかなり高くつくのではないか。

 コンタクトにハードとソフトがあることは知っている。目薬さえさせない人類に硬いものなど入れる度胸はなにがあってもないと思われるので億が一にもコンタクトにするならソフトがいい。が、基本使い捨てと聞く。ということは定期購入確定である。
 高くないか。眼鏡であれば最悪三年から五年くらい同じものをかけていられるが、眼鏡が買える額(私の眼鏡はゆきち三枚~五枚)では一年半から二年半くらいしか保ちそうにない(JINS調べ)。

 しかし眼鏡はどうか。平気で五、六年かけていられる。倍以上保つ。この差は大きい。なんでもかんでもコスパではかる愚は理解しているものの、これだけ差があるとなるとかなり高くつく。それに聞くところによるとワンデーをばんばん使い捨てるにせよ、目薬やら洗眼用の某が必要になるらしい。ランニングコストよ。まあそれは眼鏡も洗剤が要るのでどっこいかもしれないが。

 本当はもっとまめにレンズの度を調整した方がいい等あるのは承知の上だが、そこまでとてつもなく大事にしたいわけでもない私にとって、更に眼鏡派であることを補強する材料が出来てしまった。困った。いや、困らない。何故なら私は眼鏡派眼鏡族である。

休みの日に何をしているか

 休みの使い方を問われるのが人生で一番困る。

 ごく……ごくたまに、何かをしている時もあるが、たいがいは寝ている。それが真実だが、この回答、あまり好まれないものであるらしい。らしいというか、基本的にこの問いは世間話なので、当たり障りなくちょっと盛り上がるような何かが話せれば、それほど中身の面白さは問われないものだ(少なくとも身の回りでは)。しかしここでまことに難しいのが、本当に寝ているという事実である。

 寝ている。本当に寝ている。朝から晩まで寝ている。平日仕事に行っている間はだいたい寝ている。仕事から帰ってくるあたりで起き始めて、あとは平日と同じようになんとなく飯を食ってぼんやりと字を書いて寝る。休日らしいことは何もない。出かけないのかと聞かれるが、出かけない。そんな体力はない。というかそんな暇があるならだらだらツイッターを見ながら非生産的に過ごしたい。というかそもそも日中が活動時間でなくなって久しいので、日中どうしても寝てしまう。眠いのだ。めちゃくちゃ眠い。

 よって、隠したいとかそういう事情は一つもないのに、寝ているだけなので世間話が盛り上がらない。話を振ってくれた相手に悪いと思うが、致し方ないので気落ちしないでほしいといつも思っている。なお本当に初対面近くであれば、はるか昔の休日の内容を思い出して語ったりできるので問題はない。おかげで数少ない休日の思い出はものすごく鮮明に固定化されている。たまに自分が何歳なのか、いま話したのがいつのことなのかで迷う。

 似たようなところで、例の夢の国の話題なども困る。私が行ったことがあるのはランドだけ、ということになっているが、それもたぶん最後がギリギリ大学のころの思い出である。10年以上経っている。最近なにがどうなっているかなどこれっぽっちもわからない。土曜出勤前に見るテレビの特集コーナーが頼りである。あれは本当にありがたいが、最近それすら見られていないのでおそらく私の知識は三年前くらいで止まっている。なおシーに行ったことは一度だけある。開園直後で、どんなアトラクションに乗ったかも覚えていないので、話せることが何一つない。よって、行ったことがないことになっている。タワーオブなんとかはなかった。それだけ覚えている。

 さてこれを書いている今も正月休暇中なので、ぜったい年明けに何していたか聞かれるのが憂鬱である。なお昼飯後に夕方まで寝たので、現時点では寝ていたと答えるしかない。

クーポン地獄

 ファミマのクーポン地獄に陥っている。

 断っておくがここで言う地獄というのはヘルorヘブン的地獄ではなく、蟻地獄的な意味合いの地獄である。一度落ちたらはい上がれない地獄である。蟻にとってはこれこそ地獄であろう。働き蟻は常に働いているので、間違いなく次は蟻以上になれるのではないかと思うが、そんな蟻の地獄と同じ意味の地獄である。仏教的には地獄は輪廻のうちの一カ所なので、時期が来たら出られるわけだが、今回の話には関係ないのでやめておく。

 で、ファミマのクーポン地獄である。
 ありがたい地獄である。この時期、ただ歩いているだけでもまあまあ指がちぎれてどっか行きそうなので、そこに人間らしい体温を取り戻すためにも温かい飲み物はありがたい。指先が温まる上に体の中まで温まる。そこへきてこのホットドリンククーポンである。神の采配。これを決定した方はきっと前世として大いに徳を積んだに違いないので、来世にはきっと期待できるに違いない。ありがたい。しかしいまありがた、まで打ったところで、スマホの操作ミスで予測変換が全画面になりとても恐ろしかった。急に画面いっぱいになると、感謝の言葉でも恐怖の壁となるものだ。
 ちなみにこんな感じになった。
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 脱線した。

 ファミマのクーポンの話を続けたい。今回のクーポン、なんと50円引きである。50円。もともと150円しないものに対して50円引き。昼に作られたまま売り場に積まれた弁当より割合が高い。三割を超えている。ウインターセールでも最近なかなか見ない数字だ。それが日常的に供給される。使わないわけにいかない。ホットミルクティーが88円。スーパーの値段である。しかも私のよく利用する店舗は温蔵庫(棚?)の設定が少し高いのか、いつでもアツアツのミルクティーが買える。すごい。アツアツって久しぶりに打ったぞ。もしかしたらこのスマホに変えて丸一年、初めて打ったかもしれない。記念すべきだろうか。

 死ぬほど話が逸れたが、極めつけにこのクーポン、一本買うとまた同じものが発行されるのである。間違って使わずに二本買ったので、財布には三枚のクーポンが常に入っている。三枚もあると一枚くらいは使おうかなと思う。使う。するとまたクーポンである。レシートにくっついているので、受け取らない手がない。貰う。貰ったら使わねばなるまい。他のコンビニに寄るわけにいかない。何故なら財布には三枚もクーポンがある。ファミマ一択だ。おかげでいま仕事には常にアツアツミルクティーが供をしてくれる。そして必ず財布には三枚のクーポンがある。少なくとも一月七日までは私のクーポン地獄は続く。おっと出られるのか。しかし出たいわけではないんだよなあ。できれば二月半ばくらいまではやってほしい。無茶すぎるので書くだけにしておく。

 と、思ったらほうじ茶でもクーポンが出てしまった。四枚になってしまった。クーポン地獄。


20220108追記:なんとクーポン、十七日までだった。