眼鏡とコンタクト

 眼鏡をかけている。理由は単純にド近眼のため。人生のうち四半世紀は眼鏡をかけている。眼鏡が本体と言ってもなかなか過言ではない。それくらい眼鏡がないとどうにもならない。

 よく訊かれて面倒な問いに「コンタクトにしないの?」がある。しない。理由はおおむね三つ。まずコンタクトが怖いこと。次に眼鏡が好きだということ。最後に、四半世紀も連れ添った眼鏡面に慣れているので、眼鏡のない面に耐えられないこと。
 ただ、こうして理由を述べると、コンタクトおすすめ閥の人類から必ずコンタクトを勧められるので、現実に主張することはほとんどない。コンタクト、できないんだよね、で終わりにしている。「不可」の断絶力はありがたい。なんと言おうと不可なのである。これを第三者が覆すことは難しい。よってこれが一番面倒がなくていい。

 ただ、上記の理由以外にもずっと疑問なことがある。コンタクト、もしや眼鏡よりかなり高くつくのではないか。

 コンタクトにハードとソフトがあることは知っている。目薬さえさせない人類に硬いものなど入れる度胸はなにがあってもないと思われるので億が一にもコンタクトにするならソフトがいい。が、基本使い捨てと聞く。ということは定期購入確定である。
 高くないか。眼鏡であれば最悪三年から五年くらい同じものをかけていられるが、眼鏡が買える額(私の眼鏡はゆきち三枚~五枚)では一年半から二年半くらいしか保ちそうにない(JINS調べ)。

 しかし眼鏡はどうか。平気で五、六年かけていられる。倍以上保つ。この差は大きい。なんでもかんでもコスパではかる愚は理解しているものの、これだけ差があるとなるとかなり高くつく。それに聞くところによるとワンデーをばんばん使い捨てるにせよ、目薬やら洗眼用の某が必要になるらしい。ランニングコストよ。まあそれは眼鏡も洗剤が要るのでどっこいかもしれないが。

 本当はもっとまめにレンズの度を調整した方がいい等あるのは承知の上だが、そこまでとてつもなく大事にしたいわけでもない私にとって、更に眼鏡派であることを補強する材料が出来てしまった。困った。いや、困らない。何故なら私は眼鏡派眼鏡族である。