絵のような話

 絵のような小説を書きたい、と思っている。

 多分そう思っている。思っているだけで、書けているかは知らない。日々何かしらの文章を書いている(と言っても二次創作でだ)が、ほとんど掌編で、あんまり長い話は書かない。たぶん書けないのかもしれないと思う。

 それでおそらく、自分は絵のような小説(と呼ぶのが高尚であれば、文章、でいい)を書きたいと思っているのではないか、と考えた。それは自分が絵を描けない劣等感のようなものを抱いているからだろうと思う。

 絵を描くのは大変なことだ。絵を描ける人、それまでに何千時間何万時間と絵に懸けてきた人の努力を尊敬する。私にそれはできない。だから絵は描けない。ただ、描けないことには劣等感を覚える。門が違う。描きたいなら練習すればいいのだが、自分の理想どおりにならないことには黙って耐えられないらしい。それで放り出すので、いつまでも描けない。

 絵の表現が完成するまでには大変な労苦がある。大まかな図を決める。下書きをする。それから線画を作って、それから色を塗る。色塗りもざっくり一色を塗ればいいというものではない。人によるが、さまざまに塗り分ける。それから効果をつけたり、線画の色を変えたり、背景を調整したりとやることが多い。一枚作るのにたいへんな時間と手間がかかる。

 それを思うと、字の表現は簡単である。書いて、終わり。今は画像に起こすのも簡単だ。推敲の手間はゼロではないが、文章は誰にでも書ける。巧拙は問題ではない。絵の巧拙も現在問題にしていない。ただ工程が違う、工数が違う、ということだ。せっかちな私には、絵を完成させるだけの気長さがない。だから工数の少ない字で表現する。

 しかし、たぶん表現したいのは場面なのだと思う。だから一枚の絵で切り取れる話が多い。画面は変わり映えせず、ただ細かいところを描写したり、表情の奥を説明したりするに過ぎない。絵の説明を書いているのに近い。だからきっと、長い話は書けない。

 

 という、今日はそれだけ。