チータラを食べている

 チータラがうまい。

 ここ数年、チータラの魅力に取り憑かれている。あれは尋常の食べ物ではない、と、思う。これから語る内容はチータラに関するどうでもいい、かつどうしようもない内容である。いつも以上に果てしなくくだらない内容であるので心してほしい。

 

 まず、チータラは手が汚れない。

 多少チーズくささはつくが、ポテチや酢昆布のように粉が手につくことはない。これはとんでもないことだ。作業の合間にぱくり。ゲームをしながらぱくり。しかし、この間食で手を拭いたり、(衛生的にはどうかと思うが)舐めたりしてコントローラーやマウス、キーボードを汚すことがない。画期的だ。チョコや個包装でしか享受できない恩恵だったが、これは素晴らしい。豆菓子なども手は汚れないが、ものによってべたつく可能性もある。しかしチータラにはない。そのうえ、粉が散らないということは、食べかすの発生が大幅に抑制できるということだ。恐ろしい食べ物である。手だけでなく、道具たちも汚さない。そのうえ、チーズくささの多少だけで、まわりに破壊的な香りもふりまかない。いかさきやジャーキー類とはここが異なる。なんという利便性か。ありがたくてたまらない。

 次に、チータラはカロリーの塊だが、炭水化物は比較的少ない。

 炭水化物を減らせば即時痩せるような謎の説に私は与しない。しかし、夜中に活動することの多い身として、若干は気になることもある。そもそも痩せたいという願望が特に強いわけでもない(太りたくはない)自堕落な身としては、そこまで自分の体形維持のために頑張る動機もない。しかし、炭水化物が少ないことが、若干の免罪符として私の心理に影響する。なんとなく、夜中に食べても良いのではないか。すくなくともポテチを三、四枚一気に口に入れることより罪は浅くないか。ところで免罪符、名前からして罪を低減させてくれるという効果を持つというのに、歴史的経緯のせいか、うっすら否定的文脈がぬぐえないのがすごい物体だなと思う。罪が減る。それすごいことでは? しかしろくなもんでもないというのが定番。ものに罪はないが、損しているなあと思わないでもない。脱線。

 最後に、これはたいへん個人的な趣味だが、「分離の楽しみ」を手軽に味わいながら食べることができる優れものである。

 分離の楽しみとは何か? 諸兄はオレオを分解したことはあるだろうか。チーズおかきをきれいにはがしたことは? アポロを二つに分けることは? あるいはピーナッツクリームが挟まれたフランスパンやコッペパンを片側だけにクリームを残して分解することは? これを楽しめる場合はチータラの魅力にもすぐに気づくはずだ。そう、チータラは、チーズとタラをはがせるのである。

 手ではがしてもいい。汚れることはほとんどない。あるいは口の中で分解してもいい。はがした焼きタラを口の中にためて一気に食っても、あるいは逆でもいい。きたない話だ。しかしこれが楽しい。享受されたままを食べるしかない体験ではなく、自身で工夫を凝らして楽しめるところがいい。同時に食べたい場合は食べればいい。はがして味わってもいい。この自由度、そして楽しみ。一つ一つが小さいながらもそれなりに長さがあるので、楽しみは尽きることがない。まったくわからない方には失礼した。行儀が悪い話なので忘れてほしい。

 

 以上の理由からチータラばかり食っている。なとりのお徳用ばかり買っている。スーパーやおかしのまちおかで買いまくっている。日に一袋……は食べすぎかと思って少し控えているがそれ近く食っている。最近このシリーズにブラックペッパー味が出たのだが、めちゃくちゃうまいので山ほど食ってしまい、先ごろよく行く店のブラックペッパー味がなくなってしまった。カマンベール入りは比較的入手しやすいが、ブラックペッパー味は個人的にやや困難であるので、いたく落ち込んでいる。どこかにないか、ブラックペッパー味。